私が開院した理由

慢性的な頭痛の日々

開院した理由

2002年日韓FIFAワールドカップの頃、当時業界大手の
ダイビングショップで私はインストラクターをしていました。

20代前半でしたので心身共に元気でしたが、、仕事上、
水圧の変化や飛行機移動の気圧の変化などが多く、
慢性的に頭痛を起こす日々を過ごしていました。

病院や整形外科に行っても原因不明・異常なし
湿布や鎮痛剤を処方されるばかりです。

頭痛は一度起きてしまうと非常に辛く、たとえそれが
お客様と会話中であったとしても痛みで頭が働きません。

インストラクター、接客業としてはとても致命的です。

正直な話「一生この頭痛は治らないんだ…」と、諦めていました。

 

アメリカ生まれのカイロプラクティック

同僚の中にも頭痛に悩まされている人がいてマッサージがいい、
整体がいいと言われれば遠くまで通ったり接骨院・整骨院・
鍼治療・指圧・気功・温熱治療など試せるものは何でも試しました。

しかし、どれも思うように改善はしません。

ちょうどそんな時、当時お客様の中に
カイロプラクティックの先生がいらっしゃいました。

それまで私はカイロプラクティックを知りませんでした。

過度の期待はしていませんでしたが、周りの勧めもあり
半信半疑でカイロプラクティックに行ってみることにしました。

 

徐々になくなっていく頭痛

何度かカイロプラクティックを受けて行くうちに
徐々にでしたが頭痛の頻度が少なくなっていました。

一か月、二か月経っても頭痛がない。
また、なんだかカラダの調子がすごく良い。

今までの頭痛がまるでウソだったかのように
毎日が明るく快適に送れるようになっていました。

カバンの中に頭痛薬を必ず忍ばせていた私にとっては
それは奇跡に近い出来事です。

 

もっと早く知っていれば。ここに来ていれば

しかし、私の様にカイロプラクティックに助けられた人は
ごく僅かだと先生はおっしゃっていました。

世の中にはもっと多くの症状に悩まされている人がいる…

どこに行ったらよいのか分からずに諦めかけている
そんな人が大勢いることを知りました。

「何とかしたい。」
「諦めてほしくない。」

子供の頃、家族の肩をマッサージして得意になっていたこともあり、
私のカイロプラクティックへの片思いが始まりました。

 

カイロプラクターになるために

それからはその感動が忘れられず、自然と
その道を目指すようになっていました。

まずカイロプラクターになるためには、ちゃんとした
学校に通い、幅広い確かな知識が必要であること。

カイロプラクティックの本場・アメリカなどではカイロプラクターは
ドクターであり、しっかりとした根拠・理論に基づいたものであること。

100年以上の長い歴史があり、世界中で支持を受けていること。

など調べ出したらきりがありません。

いろいろ調べていく中で、日本にもドクターが作った専門学校がある
ことを知り品川区の大川カイロプラクティック専門学院に入学しました。

 

真夜中のアルバイト

専門学院時代はとにかく勉強をしました。

「卒業後は自分の治療院を持ちたい!」

という揺るぎない目標があったので卒業生の運営する治療院で
多くの経験を積ませて頂いていたのもこの時期です。

駆け出しの頃で生活はほとんどままならない状態でした。
夜中は新聞配達や牛乳配達のアルバイトもしていました。

バイクでの配達なので大雪の中や寒い日の配達は
さすがにカラダに応えました…。

休日なんてあったのかもよく分かりませんが、
厳しくもありとても充実し成長していた時期でした。

 

学んできたものに磨きをかける為に

その後約2年半、港区の白金台カイロプラクティックで
年間約1000人以上の患者さまを診察してきました。

今の私があるのも、この白金台カイロプラクティックのおかげだと思っています。

これまで学んできたものにさらに磨きをかけ、多くの方に
カイロプラクティックの素晴らしさを伝えるため私の地元にほど近い
江戸川区葛西で2009年2月に葛西カイロプラクティックをオープンしました。

 

安心・安全・丁寧の思いを形に

葛西カイロプラクティックは
「一人でも多くの人に、薬に頼らず明るく充実した
あなたらしい人生を送っていただきたい。」

という理念を持って、多くの方達と向き合っています。

そして、多くの人たちが健康的に自分らしく生きていける
世の中の実現を目指して日々努力を重ねております。

あなたの毎日の健康サポートができれば幸いです。

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